甲州街道 街道歩き 日本橋~内藤新宿

甲州街道 街道歩き

旅の始まりはいつの世もお江戸日本橋

江戸時代五街道の起点となり、現代も日本国道路元票として

文字通り日本の中心地

ということでやってまいりました、日本橋。

現代では鉄道やバス、自動車、さらに飛行機などといった交通手段がありますが

江戸時代以前の旅人の交通手段といったら

”徒歩一択”

ということで、旅人らしく歩いてみることにしました・・・

1 日本橋~内藤新宿 約8.5km
先ずは日本橋交差点から東京駅を目指します。
この交差点にはかつて、江戸3大呉服屋で日本百貨店の先駆けともいえる白木屋がありました。
ココから先は国道20号線となりますが、ほぼほぼ旧甲州街道は重なっています。
 

呉服橋交差点

 
日本橋の交差点からすぐにある呉服橋交差点
かつてここにあったのが

北町奉行所

そう、あの東山の金さんが、この桜吹雪が見えねえのかと、啖呵を切っていた場所です。

ちなみに、東山の金さんといえば松方弘樹世代のpassoaです。

和田倉門

東京駅のガードをくぐりさらに進むと見えてくるのが和田倉門

今の皇居、当時江戸城に突き当たります。

そして、この後は皇居に沿ってぐるりと20号線(内堀通り)を半周することになります。

桜田門

皇居に沿って回ること1/4、南側にあるのが桜田門。

1860年に桜田門外の変があり井伊直弼の暗殺事件があった場所ですが

現代では、どっちかというと桜の代紋の方のイメージですね。

更に三宅坂を登り、皇居半周してようやくたどり着いたのは

半蔵門

かつて服部半蔵がこのあたりに屋敷を構えたことからその名が付いたそうです。

現在は皇族が出入りに使われているため警備が厳重で、一般人は立ち入り禁止です。

半蔵門からは皇居沿いを離れて、ここからは20号線(新宿通り)を

一路四谷駅に向かって進みます。

 

四谷見附

現在の四ツ谷駅があるところが江戸城三十六見附の一つ

四谷見附のある四谷門。

この四谷一帯の総鎮守府である須賀神社ですが

今は映画「君の名は」の聖地といった方が分かる人が多そうです。

四谷大木戸

四ツ谷駅を超え、間もなくすると新宿御苑が見えてきます。

色々物議を醸した「桜を見る会」が行われていたアソコデス・・・

元々は信州高遠藩内藤家の下屋敷跡地でした。

その四谷側入り口付近に作られていたのが四谷の大木戸

玉川上水の終点に当たり、ここから木樋と呼ばれる木製の水道管で江戸市中に配水されていました。

内藤新宿

で、ようやく甲州街道最初の宿場町、内藤新宿に到着です。

元々甲州街道の最初の宿場町は高井戸宿でしたが、日本橋から16kmも離れていて

余りにも遠くて不便すぎるということで新しく作られた宿場町で

その際に内藤家が下屋敷などの一部の土地を返上して宿場用の土地としたため

内藤新宿と名付けられてそうです。

新宿3丁目交差点は甲州街道と青梅街道の追分に当たり

旅籠の数は50件、引手茶屋は80件と、江戸4宿の中では

品川宿に次ぐ賑わいで栄えたとのこと。

四谷にある新宿歴史博物館に当時の模型がありましたが

中々の規模ですね。

手前の追分になっている部分が現在、伊勢丹のある新宿3丁目交差点です。

 

それにしても、日本橋から新宿まで約8.5キロほどなんですが

歩くと3時間半ほどかかりました。

 

 

とりあえず、歩き続けて足というよりは

腰が痛くなってきたので今回はここまでとしますが

当時の人は1日で約30~40キロ程歩き、

府中付近で1泊目とする人が多かったそうです。

いやはや昔の人の健脚ぶりには驚きますね、

 

 

 

 

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